CommonNoun’s diary

予習をする。原典にあたる。

『本好きの下剋上』を読んだ

 第四部と第五部を読みました。第一部から第三部まではそれぞれを読むごとに記事を書いていましたが、第四部は四日前に読み終えたところで先が気になったのでそのまま記事にすることなく第五部に入ったのです。ときに泣きそうになりときに声を出して笑いながら一気に読み、こうしてこの記事を書きました。色々と中途半端なものになりましたが……

 

 読んだのは以下の web 版です

ncode.syosetu.com

ネタバレはできるだけ避けました。

 

  三ヶ月くらい前に完結を見た『本好きの下剋上』。恋の物語ではないにしても愛の、そして愛の力の物語ではあるんですよね。

 

 第五部の序盤〜中盤あたりでローゼマインは故郷の上層に趣味を優先しすぎる人が多いと感じていましたが*1、他ならぬそんな彼女を筆頭にこの作品では本・料理・研究などについてそれを何より大切なこととして生きる人たちが登場します。個人への崇拝というのもそれに類するものと扱えばもっとおりましょうか。

 

 その一方で領主一族に恨みを持つゲオルギーネ様やグラオザムは権力への偏執やそんな彼女への狂信で動いており強大な敵として登場します。また目立った活躍の場こそありませんでしたが聖典を強く信奉する中央神殿のイマヌエルは恐怖の対象でした。そのような彼らの行動原理はローゼマインたちのそれと対比されるものと取れます。

 

 そうした執着に近い愛だけでなく、むしろそれにもまして重要な、家族・同胞間の愛にも注目すべきでしょう。それがローゼマインたちと悪役たちの大きな相違点でもあると思っています。でも一周読んだだけでありこの作品における家族愛というものを語れるほど読み込んではいないので他の人にお任せしたいという感じですね。

 

 さて、この物語は第五部後半に差し掛かって特に急展開を見せました。その中でとりわけ私の印象に残ったのはグラオザム戦でした。グラオザムは恐ろしく残忍な男です。ここまでくれば剣が交わり火花が飛び散る戦闘は珍しくありませんが、彼は出る作品を間違えたかと思うような人物です。

 

 文官にしてトップクラスの騎士と渡り合うための禍々しい魔術具をそなえ、入れる者に制限をかけた館から即死毒や魔術具で攻撃を仕掛けるグラオザムに、館に入れるローゼマインとグラオザムの息子でありながら彼女に忠誠を誓ったマティアスの二人が立ち向かいます。

 

 このあたりマティアスとグラオザムの言い合いや地の文のローゼマインの独白がいいんですよね。わけても、

 守ってくれる騎士は誰もいない。わたしが武器の扱いに失敗しても巻き込まれる者は誰もいない。

この防御の不安から攻撃に際しての懸念が晴れたことに一瞬で意識を切り替えるところが好きです。

 

 上の引用のようにマティアスは戦闘の場から排除されてしまうのですが、これでは彼が父を乗り越えることはかなわなかった形になります。グラオザムはこの手で倒すと決意していたマティアスは無念だったはずです。しかし彼がこのことを克服するのはローゼマインの物語において語られることではないのでしょう*2

 

 それから、これはさらに自信がない読みなのですが、全体を通して「力(戦闘力に限らない)をつけて、力ある者に支配された力なき者としての生活を抜け出したところで、力ある者には力ある者の秩序があり、自由や幸福が得られるとは限らない。そんな中でどのようにして自分を保つか?」というような問いに対する、「愛に生きることによって」という答えが示唆されている気がします。

 

 この答えは本文ではないが設定等まとめにある、フェルディナンド様の結末での地位を検討したくだりから推しはかりました。根拠として弱いとは思いますが……

 

 話が変わりますが、この物語の終盤では、それまでに登場した言葉が文脈を変えたり発話者を変えたりして再登場するということが見られました。よくあるやつではありますがアツいですね。受け継がれていく意思を感じます。

 

 知を伝えるために本を記すという営みとその成果物の書籍を主人公が愛好していて、そのことが物語を動かしていた以上、文化の伝達や意思の継承は単なるフレーバーではないと思うのですが、ここもちょっと読み込めませんでした。

 

 というわけで一周読んでみての感想でした。お読み頂きありがとうございます。そのうち物理書籍も手に入れたいものですね……

*1:絶対に読んだ記述なのに作品中のどこかわからず引用できませんでした

*2:本当かな